「受け容れる」と「諦める」
20, 2015 14:55
ここ数日、
「受け容れる」
「諦める」
「ジャッジ」
「認める」
という言葉をよく目にしたり聞いたりしてるので、これは何かのサインかな
昨日姉と電話していて、改めて驚いたことがあった。
先日記事にしたけど(→「わたしのかぞく。」)、義兄は飲酒運転に跳ねられ障害者となっている。
もし自分がいきなり右半身不随で言語障害になったら・・・と姉と話してたの。
私ならきっと発狂して、きっと周囲に八つ当たると思う。
29歳でそうなってしまったら、もしかしたら命を絶ったかもしれない。
姉も同意見。
けれど義兄は、今迄一度も自分の体がそうなってしまったことに対して何も言ったことがないらしい。
「受け容れてるんだよね・・・」
と姉が言う。
そして未だ損害賠償も途中のままの犯人に対しても同じらしい。
そっちは諦めなのかはわからない。
犯人のことは置いておいても、自分の体が急にそうなったことを受け容れてる義兄。
思わず「お義兄さんは前世がキリストか何かじゃないの!?」なんて言ってしまったほど
今まで発狂もせず、責めもせず、仕事も復帰して、普通にサラリーマンをしてる。
ゆっくりゆっくりでないと歩けないけど、八つ当たることもなく歩く。
「家には一人、神がいる」ってある心理カウンセラーが言ってたけど、
姉の家は義兄が神だったんだなー。
それもおっきな神なんだな
ここまで大きなことでなくても、普段から受け容れるってことが元々できなかった私。
スピを学ぶ前は、頼ることも苦手でなんでも一人でやってきた。
そもそも「人」を受け容れてなかったから。
今は昔ほどじゃないけど、受け容れるということが前よりはできてると思う。
アニマルコミュニケーションの勉強をすると、中庸であることを求められ、
「ジャッジ禁止」みたいなとこがあってね。
それによって受け取れるメッセージが受け取れなくなってしまうから。
だから「ジャッジしない」ということがよくわからなくってね・・・昔は。
だってなんでもかんでもジャッジの世界と思っていたし
で、ジャッジしない意味を「諦める」ととらえてしまうことも多く、
それで苦しんだ時期もあったりして。
でも諦めるってことは受け容れるということとまるで違うんだよね。
○か×かってやったらそれこそジャッジになってしまうけど、
諦めるって×で、受け容れるって○な感じ。
諦めるってネガティブ要素があり、受け容れるってポジティブ要素があるよね。
それになんとなく、諦めるってどこか執着心が残るような気がする。
めっちゃ執着心のある私はそうなりやすいかな。
ま、あんまり「諦める」という言葉を悪く使っちゃうと「諦める」に申し訳ない気がするし、
そうした方がいいケースもたくさんあるから、決して×ではないのだけれど。
そもそもそこにあるものが良いか悪いかって判断するのは人間であって、
判断しなければ「ただあるだけ」ってものだものね。
「あーそこにあるんだー」って受け容れるだけでいいのに、
いちいち難しく考えてしまうのはなぜなんだろうね。
あ、書いててよくわかんなくなってきたので、

茂造写真でごまかして終了しようっと
「受け容れる」
「諦める」
「ジャッジ」
「認める」
という言葉をよく目にしたり聞いたりしてるので、これは何かのサインかな

昨日姉と電話していて、改めて驚いたことがあった。
先日記事にしたけど(→「わたしのかぞく。」)、義兄は飲酒運転に跳ねられ障害者となっている。
もし自分がいきなり右半身不随で言語障害になったら・・・と姉と話してたの。
私ならきっと発狂して、きっと周囲に八つ当たると思う。
29歳でそうなってしまったら、もしかしたら命を絶ったかもしれない。
姉も同意見。
けれど義兄は、今迄一度も自分の体がそうなってしまったことに対して何も言ったことがないらしい。
「受け容れてるんだよね・・・」
と姉が言う。
そして未だ損害賠償も途中のままの犯人に対しても同じらしい。
そっちは諦めなのかはわからない。
犯人のことは置いておいても、自分の体が急にそうなったことを受け容れてる義兄。
思わず「お義兄さんは前世がキリストか何かじゃないの!?」なんて言ってしまったほど

今まで発狂もせず、責めもせず、仕事も復帰して、普通にサラリーマンをしてる。
ゆっくりゆっくりでないと歩けないけど、八つ当たることもなく歩く。
「家には一人、神がいる」ってある心理カウンセラーが言ってたけど、
姉の家は義兄が神だったんだなー。
それもおっきな神なんだな

ここまで大きなことでなくても、普段から受け容れるってことが元々できなかった私。
スピを学ぶ前は、頼ることも苦手でなんでも一人でやってきた。
そもそも「人」を受け容れてなかったから。
今は昔ほどじゃないけど、受け容れるということが前よりはできてると思う。
アニマルコミュニケーションの勉強をすると、中庸であることを求められ、
「ジャッジ禁止」みたいなとこがあってね。
それによって受け取れるメッセージが受け取れなくなってしまうから。
だから「ジャッジしない」ということがよくわからなくってね・・・昔は。
だってなんでもかんでもジャッジの世界と思っていたし

で、ジャッジしない意味を「諦める」ととらえてしまうことも多く、
それで苦しんだ時期もあったりして。
でも諦めるってことは受け容れるということとまるで違うんだよね。
○か×かってやったらそれこそジャッジになってしまうけど、
諦めるって×で、受け容れるって○な感じ。
諦めるってネガティブ要素があり、受け容れるってポジティブ要素があるよね。
それになんとなく、諦めるってどこか執着心が残るような気がする。
めっちゃ執着心のある私はそうなりやすいかな。
ま、あんまり「諦める」という言葉を悪く使っちゃうと「諦める」に申し訳ない気がするし、
そうした方がいいケースもたくさんあるから、決して×ではないのだけれど。
そもそもそこにあるものが良いか悪いかって判断するのは人間であって、
判断しなければ「ただあるだけ」ってものだものね。
「あーそこにあるんだー」って受け容れるだけでいいのに、
いちいち難しく考えてしまうのはなぜなんだろうね。
あ、書いててよくわかんなくなってきたので、

茂造写真でごまかして終了しようっと

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